<ぶらり佐賀>
「邪馬台国時代のクニ」として大ブームを巻き起こした吉野ケ里遺跡を散策!
<吉野ヶ里歴史公園>
吉野ヶ里遺跡は、紀元前5世紀から700年続いた弥生時代の遺跡です
佐賀県神埼郡の旧神埼)町・旧三田川町・旧東脊振村の3つの町村にまたがった
日本最大級の環壕集落遺跡で弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、
弥生時代700年間の移り変わりを知ることができます。
公園では、高さ12メートルの「物見やぐら」、会議や祭祀を行った
最大の建物「主祭殿」など、発掘調査を基に98棟の建物を復元し、
当時の暮らしや人々の様子が再現されています。

※ 暑かった!
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吉野ヶ里歴史公園 |
マスコットキャラクター「ひみか」
東脊振村、三田川町、神埼町の
頭文字をとって命名
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東の正門 |
当時の東の正門と考えられている場所。
外壕を埋め立てて土橋を造り、
その内側には大きな門を備えていたようです。
敵の侵入を防ぐための特別な仕掛け(逆茂木)
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物見櫓(南内郭) |
南内郭には4棟の大きな高床建物があります。
これらは環壕の張り出した部分に
対応するように建てられており、
兵士が南内郭への侵入者を
厳重に見張っていたと考えられています。
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支配者層の住まい(南内郭) |
南内郭の居住者達は
祭司者的性格を持ち、
政治・行政を司った支配者層
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王の住まい(南内郭) |
南内郭の北西部には柵などによって
囲まれた特別な空間があります。
ここにある竪穴住居は王の家をはじめ、
その娘夫婦の家や妻の家
であったと考えられています。
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北内郭(鍵型に折れ曲がった入口) |
真っ直ぐ入ってこられないように
鍵形に折れ曲がった構造。
こうした造りは古代中国の
城郭都市に多く見られます。
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北内郭(主祭殿) |
吉野ヶ里のクニ全体の
重要な事柄を決める会議を行ったり、
祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、
中心的な建物と考えられています。

主祭殿2階 主祭殿3階 |

甕棺墓列 |
甕棺とは北部九州に特有の棺
大型の素焼きの土器に
手足を折り曲げて入れ
土の中に埋める埋葬方法
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北墳丘墓(立柱) |
北墳丘墓の正面にある長い柱
祖先の霊が宿る柱として
シンボル的な役割を果たしていたようです

祀堂
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北墳丘墓(歴代の王の墓) |
吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている
特別なお墓と考えられています。
このお墓は弥生時代の中頃、
紀元前1世紀のものです。
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北墳丘墓(14基の甕棺) |
甕棺とは北部九州に特有の棺のこと。
大型の素焼きの土器に亡くなった人の
手足を折り曲げて入れ、
土の中に埋める埋葬方法です。
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